マルコムマクラーレンは本当にニューヨークドールズをマネージメントしたのか?「熱狂的なドールズグルーピーだっただけさ」


ニューヨーク ドールズ、1974年発表の2nd Too Much Too Soon (邦題:悪徳のジャングル)。

このアルバム・タイトルはアメリカの女優ダイアナ・バリモア( 『E.T.』のドリュー・バリモアの叔母)の自伝からとられて彼女に捧げられています。

1973年ニューヨーク ドールズがツアーでロンドンに到着するとマルコムマクラーレンは彼らを招き入れブレイクス・ホテルでどんちゃん騒ぎをしたりしてます。
マルコム・マクラーレンはニューヨーク ドールズに夢中だったようです。
帰国後、突然マルコム・マクラーレンはニューヨークのドールズのもとにに行きます。ヴィヴィアンウエストウッドにはもう戻ってこないかもしれないと言い残して発っています。
そしてメンバーを説き伏せマルコムはニューヨーク ドールズをグラムから共産主義へと変えてます。

コンセプトは「倦怠政治とは何か?死よりもアカのほがマシ」
マルコムは手始めにニューヨーク ドールズに赤いパンツとTシャツマルコムのブティック「SEX」のハイヒールブーツを着用。
マルコムはかなり献身的で費用負担からメンバーの採寸まで自身で行っています。
2月28日リトル・ヒップドロームで赤いエナメル革のニューヨーク ドールズのショーが行われています。しかしこのアイデアは評判悪かったようです。(しかもデヴィット・ヨハンセンは自分のアイデアだと主張しています)
その後バンドはフロリダに行きましたがジェリー・ノーランとジョニー・サンダースがヤクをやりにニューヨークに戻ってしまい空中分解。
「マルコム・マクラーレンは、誰よりも熱狂的なドールズグルーピーだっただけさ」
シルヴェイン・シルヴェイン
「冗談だろ。
奴がぼくらのマネージャーだなんて、一度だって思ったことはないね。
イギリスから来た、風変わりなお友達に過ぎないよ」
デヴィット・ヨハンセン
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ニューヨークドールズの正式なマネージャーのコメント
『マルコム・マクラーレン、ニューヨークドールズのマネージャー』という言葉を見かけるとショックだね。
彼はマネージャーでも何でもなかった。
契約もしてなかったし、ドールズをまとめ上げたのも、彼らを世界的に有名なグループにしたのも、彼じゃない」
マティー・ソー ドールズマネージャー
ロックの歴史でニューヨークパンクとロンドンパンクを語るうえで「ドールズマネージャーだったマルコム・マクラーレンがロンドンの店にたむろする若者を集めてセックスピストルズを作った」としたほうが流れがいいですからね。
引用:セックスピストルズを操った男
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